
の条件で補っていくことが施設の運営の要諦である。要は、与えられた条件の中でいかに最善を尽くすかということに尽きる。できることとできないことがある。その範囲を明確に見定めるとともに、工夫することも怠ってはならない。たとえ不可能に思えても、運営次第では可能になることも数多くある。トライ&エラーで訳さない限り、それも分からないではないだろうか。
その際、指導イコール管理ではないということに留意が必要であろう。とかく目に見える成果を求めるあまり、また、利用者に良かれと思い、ついつい“指導する”ことがある。むろん、その中には本当に必要な指導もあるのだが、指導のための指導になってしまい、結果として極めて管理的な方向に指導が向いてしまう場合が見られる。それは、かつての「団体宿泊訓練」としての青年の家を思い出させる結果にしかならない。押し付けにならないように、いかにして運営の中に指導を生かしていくかが重要なポイントである。
サイズに合わない服でも、着ているうちに身体の方が服に合ってくるものである。最初から着ようという努力を怠っては、永久に合った服を探すことはできない。失敗を恐れず果敢な運営に心掛けてこそ、新しい道が開かれるのである。
■〜21世紀にむけて〜
最後に、21世紀にむけてこれからの青年の家が目指す方向を、「元気のある青少年施設推進10カ条」という形でまとめてみたい。
〜元気のある青少年施設推進10カ条〜
第1条 長期計画を見つめよう
情報化社会という言葉が使われるようになって久しいが、世の中の進歩するスピードは想像をはるかに越えている。日進月歩という言葉があるが、パソコンの世界では分進秒歩とも言うそうである。これは当然ながらすべての分野に言えることであり、青年の家もまた例外ではない。現在好評であることが、数年後に好評であるとは誰にも保証できない。また、突飛であったり、あまりにも革新的すぎるようなことでも、それが社会の時流に適合する場合もある。中教審ではこれからの時代を「変化の激しい時代、先行き不透明の時代」と表現している。このことは、ややもすると社会の変化を恐れるがあまり、かえって青年の家の変革を妨げる口実にもなる。つまり、変化に従って対症療法的に少しずつ施設を変えていけば良いとの考えが成り立つからである。これはすなわち、問題が起こってから、あるいは利用者の苦情が一定の水準を超えたときに青年の家を変えていけば良いという事なかれ主義につながる。「変化の激しい時代、先行き不透明の時代」であるからこそ、退嬰的な姿勢に逃避することは許されない。今年・来年というレベルではなく、3年から5年先を見て徹底的に論議を尽くし、変化の嵐を乗り切るだけの気概を備えて欲しいものである。それには職員の自信が第一である。普段から好奇心を持ってさまざまなことにチャレンジし、感度の良いアンテナで時代の変化を読み取り、今、青少年がどう動いているのかということを絶えず気にかけて動いて欲しい。その集積の上に長期的な展望が開けていくのだから。
第2条 安かろう悪かろうからの脱皮
イメージが拡大再生産される傾向にあるのは、別に青少年教育施設に限ったことではないが、青年の家には特にこの傾向が付きまとって
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